『存在論的郵便的』についていまさら考える――東浩紀と確率と確率論

『統計の歴史』(オリヴィエ・レイ)という本を読んでいて、昔から漫然と考えていたことがクリアになった気がするので、唐突に東浩紀について、確率論と統計学という観点から書いてみます。

 

東浩紀の『存在論的郵便的』という本の貢献の核心は、(意味の)決定不可能性という現代思想的テーマに対して、「意味は決定できない」という否定的な回答の形式を、「どのように読まれるかは決定できないが、しかし何らかの形でいつか誰かに届く」という肯定的な回答の形式に組み替えた、という点にあると理解しています。そのうえで、その肯定性を表現する具体的なイメージとして郵便の比喩を召喚し、「誤配」という使い勝手のいい概念を提示した。で、そのイメージのしやすさと使い勝手の良さによって、広い影響力を獲得した。つまり、「誤配」という概念が、「意味は決定できない」と立ち止まって終わるのではなく、いろんな場面で使えてものごとを説明でき、また自分自身の振る舞いの方針を整理するのに実際に役に立った、という「肯定性」が『存在論的郵便的』の貢献の核心にあった、という整理です。

 

そのことには大きな意味があった、とは思うのですが、同時にその議論がもちえた可能性が十分には展開されなかった、という印象も持っています。ではそこで展開されなかった可能性とは何なのか。それに答えを与えるキーワードが、確率です。東浩紀は、そのキャリアのはじめから確率の問題を扱っていた(デビュー作の「ソルジェニーツィン試論」の副題は「確率のてざわり」)。その確率論的な想像力が、東浩紀の哲学的創造力の重要な部分をなしていたのだと考えています。ただその点で、『存在論的郵便的』では、その確率論的な想像力が十分に力を発揮できていなかったのではないか、というのがここで書きたいことです。

 

確率論は、ある事象が決定的には確定できないという「否定的な」事態から出発するものですが、同時に、起こりうる事象群に数学的な確率を割り振ることで、原理的な非決定性に対して現実的に対処可能とする「肯定的な」アプローチでもあります。とここまで書いて気づいたのが、「確率」と「確率論」との間には大きなギャップがある、という事実です。「確率」だと「確定できない」という地点にとどまっているのに対して、「確率論」は、その地点から動いていく際の具体的で数学的な方法論にまで踏み込むものだからです。この区別を踏まえるとすると、少なくとも『存在論的郵便的』までの東浩紀は、「確率」については考えていたが、「確率論」という方法論にまでは踏み込んでいなかった、という整理ができそうです。

 

この点で言えば、いま手元に本がないので思い出しながらになりますが、『観光客の哲学』では、「正規分布」や「べき乗分布」といった、確率論や統計学の具体的な概念を参照していたかと思います。この踏み込みを『存在論的郵便的』にもし応用するなら、「誤配」という「不確定でありながら届く」というあいまいなイメージにとどまらずに、ではその「誤配」は具体的にはどのような分布を描くだろうか、という問いにすぐさまつながったと想像します。それは正規分布だろうか、べき乗分布だろうか?あるいは文章の形式や流通の形式によって、確率的な分布のパターンが変わるのだろうか?

 

もちろんデリダによるエクリチュールや痕跡をめぐる議論自体が、確率論的な問題系にはとうぜん踏み込んでおらず、そのポテンシャルを「確率」という観点から整理していったこと自体にも、デリダ解釈として十分な意味があったのだと考えます。ただ、「確率」からさらに「確率論」まで踏み込んでいけたのではないか。東浩紀自身のその後の思想展開も踏まえるなら、そのように期待することはなにも無茶なことではないのではないか。

 

ところで、エクリチュールの決定不可能性を「確率論」のパラダイムで受け止める、というこの理論的な選択は、たんに現代思想デリダ解釈にはとどまらない、もっと大きな文脈に位置づけることが可能だと考えています。その整理を助けてくれたのが、『統計の歴史』(オリヴィエ・レイ)でした。

 

19世紀、生物学や熱力学に統計学の考え方が本格的に取り込まれることによって、決定論は葬り去られていった。あまりにも数が多く相互作用が複雑な分子や原子の挙動は、もはや一つ一つ決定していくことはできず、確率論に基づいて統計的にしか扱えない。ここで重要なのは、

「観察対象が決定できない」という否定的な事態が

しかし

「確率論に基づいた統計的なアプローチで制御可能になる」

という肯定的な実践とセットになっている点です。

この組み合わせによって、19世紀から20世紀にかけて統計物理学が確立され科学的な実践をめぐる基本的なパラダイムが完全に置き換わっていった。原理的な決定不能性を前にして、決定論が放棄され、統計学が新たな地盤を提供した。

 

このパラダイム転換の過程で

統計物理学とともに科学と文化は「別れる」ことになった

とレイは述べています。これはレイが述べていることではないですが、ニーチェが「神は死んだ」と書いたのはまさに統計物理学が発展していった最中です。熱力学が決定論を放棄せざるをえなかった時期と、ニーチェが世界の後ろ盾の神は存在しないと宣言したのは同時期だった。しかし科学が神がいなくなった世界を確率論と統計学で制御する方法を発展させていったのに対し、人文学にはその等価物がなかった。あまりにも大げさな整理になってしまいますが、だから人文学は、「意味が決定できない」という事態のまえで立ち止まりつづけたのではないか。『存在論的郵便的』はデリダの「否定神学」の批判的乗り越えを企図していましたが、1990年代の現代思想の場において、量子力学不確定性原理への比喩的な言及は、否定神学的な身振りと帰納的に等価なものだった気がします。

 

書かれたものを読む、という出来事にともなう非決定性を、確率のイメージからさらに超えて確率論的に位置づけなおすことで、レイが述べていたような科学と人文学の「別れ」を経て、再び両者は合流しうるのではないか。

 

たとえば、カントの『実践理性批判』における道徳法則は、書かれた道徳法則を誰もが同じように理解し、それに従うという前提で議論されています。しかしエクリチュールはそのようには機能しません。書かれたものは必ず誤読される。ただしそれはまったく無軌道に誤読されるわけではありません。コロナが蔓延し始めた時期、自粛要請という「道徳的な命令」が日本社会に発されました。そのエクリチュールを人びとはどう受け取ったでしょうか。気にせず遊びまわる人もいれば、ほどほどに従う人もいれば、律儀に守ろうとした人もいました。この多様な反応を、たんなる解釈の非決定性という「確率」のパラダイムを超えて、その多様性の分布を計算しようとする「確率論」のパラダイムで受け取るとどうなるでしょうか。当然、ある道徳的命令に対する人びとの反応は、平均的な反応を中心とした正規分布を描くのではないか、という仮説にたどり着くでしょう。ここにはすでに、統計学的道徳論の可能性が素描されている気がします。

 

存在論的郵便的』は、エクリチュールの非決定性を確率論で処理する、というありうる人文学のパラダイムの扉を半分開いた、というのがここでの整理です。そしてこの半分開いた扉が存在することは、この新たなパラダイムを切り拓くにあたって貴重な足場となるはずだ、と考えています。ただこの文章は基本的に記憶だけに基づいて書いているので、もしかしたら見当違いなことを書いている可能性もあります。で、せっかくの縁なのでさっそくゲンロン友の会に入りました。で、まだ読んでいなかった『訂正可能性の哲学』もポチリます~